日本の製造業で頑張るブログ

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自省録【やる気】 (日本の製造業で頑張るブログ/2話/20210810)

自省録 著者:マルクス・アウレリウス(ローマ帝国皇帝 兼 哲学者))

 

◎生まれつき賢さも才能もない君(自分)。しかしそれを持たない事は生きる上で大きな問題となるだろうか?生まれつきそれらを持たなくとも自分の力を発揮出来る事は、いくらでもある。例えば誰に対しても誠実である事、欲に溺れた生活をしない事、気高く優れた精神を持っている事、こういった徳のある人間になれるかどうかは、生まれ持った賢さや才能とは関係が無い。自分次第なのだ。

 

◎何もかも上手くいかない日は誰しもある。しかしそれについて不平不満を持つ事は良くない。失敗に打ち負かされたのであれば、再びその場所に戻れば良いだけである。何より自分自身が再びチャレンジしようと立ち上がり向かって行っているいる事実を愛するべきだ。

 

プラトンの理想国家を望むな。どんなに小さな事でも一歩前に進んだのならその事実に満足し、その結果は大した事ではないと考えるのだ。

 

◎朝起きるのがつらい。そんな時は次の事を思うと良い。人間の務めを果たす為に私は起きるのだと。もちろんここで体を温めておく方が心地よいだろう。では君は心地よい思いをする為に生まれてきたのか?物事を受身に経験する為に生まれたのか?それとも行動する為だろうか?小さな草木や小鳥、蟻や蜘蛛や蜜蜂達をよく見てみると良い。彼らは己の務めを果たそうと勤しみ、この世界の秩序を形作っている。それなのに君は自分の務めをするのが嫌なのか?自然にしたがって生きる方が、君にとって心地よい事だと言う事を忘れてはならない。

 

◎君は今、世間の評価や人間関係といった外的な要因によって苦しんでいる。しかし君を本当に悩ませているのは、その事自体ではなく、それに対する君の判断や思い込みではないだろうか?苦痛がただ単に自分の心の持ちようであるならば、それを正しく解決に導けるのも自分自身なのだ。君はただ 何かをじっと耐え忍んでいてそれが苦しくて仕方がないのだろう。だったらなぜ行動しない?なぜ自分からその苦痛を取り除いてやらない?大きな障害があって本当にどうしようもできないのか?それならばこれ以上、君は自分自身を責めるべきではないし、苦しむ必要はないだろう。なぜならばそれはもう、君のせいではないからだ。自分にとって正しい事をした結果、誰かに軽蔑されたり嫌われたりする事はよくある。しかしそれは君が頭を抱えるべきというよりも、相手が解決すべき問題だろう。君はただ、軽蔑に値する様な振る舞いをせず、誰に対しても善意を持って親切に接すれば良いだけだ。

 

◎他人に対して良い事をすると、いつかその恩を返してもらおうと期待する人がいる。また表面的には見返りを求めなくとも、心の奥底で相手を負債者の様にみなし、後で請求出来ると考える人もいる。しかしその一方で、自分が他人に良い事をしても、それを当たり前の様に意識していない人もいる。その姿はまさに葡萄の木の様だ。葡萄の木は一たび自分の実を結んでしまえば、それ以上何ら求める事はない。疾走を終えた馬の様に、追跡し終えた猟犬の様に、蜜を作り終えた蜜蜂の様に、それ以上望んだりはしないのだ。誰かに善行を施したのなら、それ以上を求める事はなく、ただ次の行動に移れば良いのである。

 

◎他人からの悪意に満ちた言動によって、傷付き怒りたくなる事もあるだろう。そんな時は次の質問を自分に投げてみると良い。恥知らずな人間がこの世に存在しない事など、あるのだろうかと。いやそんな事はどう考えてもありえない。ならばなぜ君はあり得ない事を求めているのだ?君が腹を立てているその人物は、恥を恥と思わない大勢の人物の中の一人でしかないのだ。この世界には必ずそういう人がいるし、いないなんて事はそもそもあり得ない。この事を忘れなければ、君はもっと寛容になれるはずだ。

 

◎思い出してみるのだ。君はどれだけ自分で決めた事を先延ばしにしてきたか。また、神から与えられた機会をどれだけ利用しなかったか。今こそ自覚しなければならない。君がこの世界に存在出来る時間は限られている。その中で何もしなければ時は過ぎ去り、君という存在も消え去り、二度とチャンスが訪れる事はないだろう。自分の為の時間を確保し、自分にとって価値のある事を学ぶのだ。その為には、君は自分の心が乱されぬ様、外野の余計な声に耳を傾けたり、あらゆる情報に注意を向けている今の習慣を改めなければならない。君の思考も、君にとって正しい方向に向けなければ、人生の残り時間など、あっという間に消えてなくなってしまう。なぜ君は変わる事を恐れているのだ?変化なくして一体なにが起こるというのだろう。宇宙の自然にとって、変化ほど愛するべきものはないはずだ。火にくべた木材が燃える事なくその形をとどめているならば、君は風呂につかる事もできない。また食べ物も、変化を加えられ形を変えるからこそ、私達に様々な栄養を与えてくれるのだ。つまりどんな物事であっても、変化なくして成し遂げる事は出来ない。そして今こそ、変化を求められているのは、他ならぬ君自身なのだ。

 

◎人間の一生は短い。そして君の人生はもうほとんど終わりに近づこうとしている。それなのに君は、自尊心を失い、自分の幸福を他人の中に見出そうとしている。人から認められたい、後世に名を残したい、そんな気持ちが君を苦しめているのか。ならばあらゆる物事があっという間に忘れ去られ、無限の深淵の中に飲み込まれていく光景を見るがいい。名声などというものは海辺の砂山の様なものだ。上へ上へと砂山が積み重なっていくと、やがて下の砂は、隠れて見えなくなっていく。拍手喝采の虚しさ、賞賛しているかの様に振る舞う人間達の心変わりの早さ、またそうした者達が閉じ込められている世界の狭さを眺めるといい。宇宙から見れば地球などわずかな点であり、我々はその片隅で生きている小さな存在に過ぎない。そこでどれだけの人間が、またどんな人間が、君を褒め称え続けてくれるというのだ。人として、この世界のいち市民として、自分が死すべき存在であるという事を忘れてはいけない。無気力にならず、嘘によって自分を飾らず、心の平穏を保ちながら、毎日を人生最後の日の様に過ごす。それが本当の賢者というものだろう。

 

◎今日まで君はどんな態度で過ごしてきただろうか。神々に対しても、両親、兄弟、配偶者、そして教師や友人に対しても、誰に対しても、君はひどい扱いをしたり、ひどいことを言わなかっただろうか。そして、君がこれまで経験してきたこと、耐えてきた困難を思い返してみるのだ。君の人生の物語は、今ここで、終わった。世のため人の為に、やれることはもうない。任務は終了したのだ。今こそ思い出すがいい。これまで君が見てきた美しいものを。そして、どれだけ多くの苦痛や快楽に負けず、どれだけ多くの名誉にとらわれず、どれだけ不親切な者達に新設な態度を示したかを。思い出してみるのだ。。